思い通りにならないのが当たり前。だからこそ、自分に集中する
- こんなふうに思ったこと、ありませんか?
「どうしてあの人はわかってくれないんだろう」
「もっと●●してくれたらいいのに」
「変わってくれれば、私はこんなに悩まなくてすむのに」 - 実は私もずっと、「他人が変われば私の人生はよくなる」と思っていました。
でも、ある言葉に出会って考え方が180度変わったんです。
正観さんの教え 〜すべては「受け入れる」ことで解決する〜
小林正観さんという方の考え方に触れました。
その中で印象的だったのが、人生相談へのこんな答えでした。
「それ、相談じゃなくて“思い通りにしたい願望”ですね。やめましょう。」
- 正観さんは、どんな悩みも「他人を変えようとしないこと」でほとんど解決する、と話しています。
なぜなら、他人は自分の思いどおりにはならないから。 - 例えば:
- 夫が帰りが遅い → 「夫が変わってくれれば」
- 子どもが不登校 → 「学校に行かせなきゃ」
でも、これって結局「自分の思いどおりにしたいだけ」なのかもしれません。
【視点の転換】〜他人を変えようとする代わりに自分にできること〜
私たちはつい、目の前の人が「こうしてくれたらいいのに」と思ってしまいます。
でも、他人を変えようとすることを手放すと、心の奥にふと浮かぶ問いがあります。
それが――
「じゃあ、私はどう生きたいの?」という、自分への問いかけです。
本来の悩みの多くは、相手の言動によって自分の感情が揺れることにあります。
でも、その奥にある本質は、「自分がどうありたいかが、まだ明確になっていない」ことなのです。
たとえば:
- 「夫が冷たい」 → 本当は「温かくつながる関係でいたい」
- 「子どもが言うことを聞かない」→ 本当は「安心して見守りたい自分でいたい」
- 「友人の言葉に傷ついた」→ 本当は「尊重されたい」「大切にされたい」
つまり、「悩み」は問題ではなく、“本当の望み”を知るサインなんです。
そして、正観さんが言った「すべて受け入れると、問題は最初から存在しない」とは、
「相手をコントロールしようとする視点」をやめたとき、
そもそも“対立”や“不満”というものが生まれないという意味。
「そういう人もいるよね」
「それがその人の生き方なんだね」
と、ただ“事実として受け止める”ことで、
争わずに済みます。コントロールの苦しみから解放されます。
そのとき、自分の心に向き合う余裕が生まれます。
「私はどう在りたいのか」
「どんなふうに感じながら生きていきたいのか」
「どんな選択をする自分が、好きか?」
そうやって“外側”ではなく“内側”に目を向けると、
世界は変わらなくても、不思議と悩みが消えていきます。
つまり――
他人を変えようとする代わりに、自分の在り方を選びなおす。
それが、最も平和で、自分らしく生きるための道なんです。
〜他人を変えようとする代わりに、自分を選ぶということ〜
私たちは日常の中で、無意識にこう思ってしまうことがあります。
「もっと優しくしてくれたらいいのに」
「なんで私の気持ちをわかってくれないの?」
「こうあるべきなのに…」
でも、もし今日そんなふうに“他人に期待する気持ち”が出てきたら、
ちょっと立ち止まって、自分にこう問いかけてみてください。
「私は、本当はどうしたいんだろう?」
この問いを投げかけるだけで、意識の矢印が「他人」から「自分」に戻ってきます。
すると、感情のコントロールも、自分の人生の舵取りも、取り戻すことができるんです。
他人を変えることは難しいけれど、
**「自分の気持ちに気づき、自分の行動を選ぶこと」**は今すぐにでもできます。
たとえば、相手が怒っていても、自分は落ち着いたままでいることを選ぶ。
たとえ理解されなくても、自分の信じる選択をやさしく守ってあげる。
その「自分を丁寧に扱う」という在り方が、
不思議と心の余裕を生み、結果的にまわりの空気さえやわらかく変えていくのです。
「自分を大切にしながら、他人も尊重する」。
それは決してわがままではありません。
それができる人こそが、やさしい世界を静かに広げていく存在です。
だからまずは今日、
他人よりも「自分がどう生きたいか」に意識を向けてみてくださいね。
すべてはそこから始まります。
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